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MY JOURNEY@イギリス

MY JOURNEY@イギリス

その3 オランダ

オランダ
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2000年1月5日
怖い、寒い、オランダ・アムステルダム・・

Nederlanden(低い国の意)―オランダ。面積は九州とほぼ同じで国土の4分の1が海抜0メートル以下。風車とチューリップと運河の国で有名で干拓農地が国土の2割も占め、世界屈指のチーズ生産国でもある。勤勉な国民性で経済発展を遂げ、農業国としての地位も築き、ロッテルダム港は世界屈指の貿易港として、日本とも古くからなじみの深い国。蘭学などの西洋医学はオランダからの輸入で日本の受けた影響も大きい。コンチネンタルなのに朝食はたっぷり、昼は少なく夕方6時頃たっぷりがオランダ人の食生活。豆、ベーコン、チーズ、ムール貝、ニシンなどが名物。お土産はやはりクロンペン、木靴。チーズにチューリップ、それにダイヤモンド。友達の参加したツアーにはダイヤモンド工場見学が義務でそれのみだったらしい…言語はオランダ語、通貨はギルダー。

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アムスで早速迷子。。

チェックアウト後駅へ向かい、真っ赤なタリスでオランダ、アムステルダムへ。タリスの方が色使いもおしゃれで車内も素敵だったのは気のせい?アムステルダムに着いてびっくりしたのはその寒さ!そんなに移動してないのに・・アムステルダムの寒さの厳しさは有名らしい。電話予約した今夜からの宿は、駅から離れた、でも観光には適した美術館街の近くなので、両替をすませて、かなり嫌だったけど駅前からトラムに乗ることに。一応地図を広げて車窓を確認していったもののあまりの運河の多さにもう大混乱。運河の数が数えられなくなって、降ろしてもらうよう頼んだ運転手さん頼みに。市内循環しているようとはいえ、あまりに景色が寂しくなっていく。だんだんこれは「過ぎたかも…」と思っていたら結局30分くらい乗ってトラムは止まってしまった。終点!やさしそうだった女性運転手さんに「降ろしてって言ったじゃん!」って悲惨な感じで訴えたらハッとしてて「座ってなさい、座ってなさい」と丁重な感じ。あーもう!でも帰りはちゃんと親切にここが美術館よと降ろしてくれた。英語が通じないって大変・・

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アムス観光!

魅力的なお土産屋を横目に見つつホテルのブザーを押す。ドアが開いたらびっくり!なんて急な階段!アムスで最初で最後の汗をかいてフロントへ登る。そこから部屋までの階段はお兄さんが運んでくれたけど、日本語を話したがる陽気なおじさんってのはどうも見当たらなかった。部屋は安宿って雰囲気でそれほどきれいじゃなかったけど不潔でもなさそうだし、何より3日ぶりのテレビにやわらかくて広いベッドに感激!味を占めたトイレバス共同Againだけど、その分洗面台が大きくて広くていい!

荷物を置いて、さっきの魅力的な土産店へGo!絵葉書がすっごくかわいいし、かわいい木靴がズラッと並んででオランダ!気に入らないのは絵葉書に値段表示されてないところ。聞くと結構高い。(値段思い出せない)これはアムスどこも同じで、唯一見つけた表示があってちゃんと適正価格(他店の言い値より安い)お店で結局ほとんど買ったけど、その店にない種類は言い値で買わざるをえなかった・・

もうトラムには乗りたくなかったし、時間もないので美術館の周りを散歩して、ライツェ広場を見に行き、さっさとホテルに帰ることに。その理由は、ドラッグ&セックスフリーの国、オランダという評判はもちろん知っていたけど、どうも人通りも少なく、歩いてる人も男ばっかであやしい。しかも二人も日本語で話しかけてきた。一人は「あぶないよー」とまで言った。絵葉書のゴッホはドラッグ吸ってるし(思わず買ってしまったけど・・)

飾り窓エリアまで行かなくもあーあれがそうかもって建物はあちこちにあるし、そして何より信じられない凍てつく寒さに体力も限界・・風邪ひいてしまった。花屋のおばさんはものすごい見幕でムカツクし、かわいい木靴に入ったブラシとかのお土産を少し買って、「部屋マクドナルド」することに。
何せ今夜はテレビがあるし!ちょっと怖くて、かなり寒いオランダ…

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2000年1月6日
ゴッホとアンネ・フランク

朝食を取りに行ったら、名物のおやじが日本人の男の子と話してた。私にも日本語で話したいらしく、おもしろおじさん笑わせる。風邪が結構辛くて外を歩くのはきついので、今日の目的地は王立美術館、ゴッホ美術館、アンネの家のみに絞る。

しかし国立美術館はすぐそばですぐたどり着いたけど入り口が見当たらないくらい大きい。中はもっとすごくて各パート、パートへの移動もすごい距離。有名なフェルメールとかだけ見れればいいやって思ってたのにたどり着けない…結局美術館内をものすごく歩いて疲れ果てた。所要時間、早歩きで見たのに3時間半!恐ろしい美術館…やはり記憶メモリに限界があるので最も有名なレンブラントの「夜警」とフェルメールの「料理をする女」だけ記憶。フェルメールは門外不出系の絵らしく、この年の春か夏に初めて日本でフェルメール展が開催され、ものすごい人手だったらしい、と後から知った。

アムステルダムはアムステル川をダムでせきとめたのが由来らしい。とにかく運河、運河。そして古びた自転車、自転車王国。運河に面した家の屋根のカッティングがかわいくて運河と家並みを見ているのは飽きない。街には自転車専用道があって、数もすごく多い。歩いているとうっかり自転車道に入ってしまい、車より自転車にひかれそうになる。

続いて念願のゴッホ美術館。近代的な建物に素敵なポスター、大興奮。日本語レシーバ付きチケットにしていざ!これが良かった、最高だった。後にも先にもベストの解説だった。特に「じゃがいもを食べる人々」や「自画像」「浮世絵シリーズ」の辺りの解説はとても興味深く、理解がグンと深まったし、ゴッホの人生と絵の関わりも感じる事ができたし、どれだけゴッホが日本を夢見て憧れていたのかも知って素晴らしく感動、意義のある美術鑑賞だった!この美術館は弟テオの遺族が収容していたコレクションでできたそうで、オランダ時代とフランス時代のゴッホの足跡が年代順に展示されていた。精神病院時代、また書簡なども素晴らしく興味深かった。ゴッホの「種をまく人」なんてレアものも発見した。彼がミレー好きだったことで、私のゴッホ好きも納得できたしね。

出口で行った美術館のトイレの洗面台で手を洗っている時、カメラをシンクに落としてしまう!な、な、なんてこと!煙が出て燃えている!恐ろしかった…電池を買っていれてみないと本当に壊れたかわからない。あー最悪(TT)

さて、鼻をずるずるハーハーいわせながら(失礼)、次の目的地「アンネ・フランクの家」へ。正直、こんな童話の世界のようなかわいらしいアムステルダムの町並みのなかに彼女の家が同じように存在してるなんて信じられなかった。彼女の家は川沿いに建っていて、資料館が横に立ち、資料館がエントランスになっている。チケットを買っていざ入館。彼女の生い立ちや写真がパネル展示されていて、少し入るとすぐ階段があり、回転本棚が。私が彼女の日記にであったのは多分小学校2,3年くらい…今まさに15年近い歳月、想像でしかなかった回転本棚のむこうの世界が自分の目の前にあるっていう事実に緊張、興奮した。

少し頭をかがめてドアをくぐると暗くて小さな彼らの生活スペースがそのまま保存されていた。最も印象に残ったのはやはりそのスペースに住んでいた人間の人数。決して日本人から見れば狭すぎる家ではないものの息をひそめ、まして家族ではないおじさん含め大人3人?子ども数人が肩をよせあって隠れていた、ここに生きていたという現実が自分を打ちのめした。一日でも気が滅入って気分も悪くなりそうな生活…特にアンネ達の部屋は彼女が壁にはった雑誌の切り抜きや落書きが心に残った。彼女は世界的有名な偉人のようになってしまっているけど、この部屋に来たら、ただの普通の女の子だったんだって当たり前の事を痛感した。そして、資料館の展示スペースでは本物の日記を見て感動…やはり子どもの頃に読んでいた本は感銘も深い。ヨーロッパは歴史を知らないと旅が深まらない、世界史の知識をためされるというけれど、まさに、本当に。同じ少女時代に彼女と出会っていなかったらこれほど思い入れも感動もできなかった。

彼女の家を出たらもう外は暗く、私の頭もフラフラ…今日はちゃんと栄養のある、体をあっためる食べ物を探して、薬を飲んで寝ないと旅が続行できなくなる。フラフラと歩いていたら中華料理店を発見。窓にはってあった日本語メニューの「麻婆豆腐」にピンときた。こんな好物を何ヶ月も食べてない!アムステルダムで中華という組み合わせの異様さにためらったけど、野菜も取れるし何より食欲が出そう、入ってみる。テーブルにしかれた紙製のメニューにペンで「麻婆豆腐」と書いたら「マーボードーフ!」と女の子は言った。あら?合ってるじゃん、私の発音。台湾人の友人たちに何度も笑われるので中国語の発音は諦めていたのに…(TT)やっぱりあの味(都内某有名店)ではなかったけど(帰ったら絶対また食べに行きい。。)

とにかく今日はダウン…中華料理店の隣の電気屋でカメラの電池を買ったけどやっぱりだめだった。高かったのに…買い取れないよ、同じ機種のカメラを買いな・・と老夫婦の店員さんは申し訳なさそうだったけど、仕方ないさ、自分で落としたんだから・・(TT)

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